ヨメ子どものいない休日。
ここはあえてどっぷり巨匠と向かい合う。
そして何かを感じようと思った。
一本目は黒澤明監督の「生きものの記憶」。
水爆に恐怖をいだく老人が、その恐怖から逃れる最善の策はブラジルに移住することだと確信し、家族をつれていこうとする。しかし、根拠のない父の説得に家族は大反対。そんなどういう展開になっていくのか興味を抱きながら、映画は家庭裁判から始まる。
この映画のテーマはおそらく「水爆・原爆の恐怖を感じさせ、考えさせる」ことがメインであるように思えた。
その見事な表現方法が、水爆や原爆が爆発して多くの人間が死ぬというような直接的な恐怖をみせるのではなく、一人の老人の恐怖心が、直接的な恐怖以上に水爆や原爆の恐怖を感じさせ、考えさせる。
考えてもみれば、突然自分の父親が水爆が恐ろしいから、今すぐブラジルに行くぞ。と言われれば、親父おかしくなったんとちゃうか?と思ってしまうものである。
そんなことを考えながら観ていると、誰もが水爆は怖いはずなのに、何故この老人はそれ以上に水爆に恐怖をいだいているのか?誰もが怖い怖いと感じてはいるものの、どっちかというと他人事のような感覚で、その老人が抱いている恐怖の方が正しいのではないか?こんな世界に平然といる自分の方がおかしいのではないか??そう思えてくる。
映画は、目に見えない先のことに恐怖を抱く老人と、目先の金銭問題に目がくらんでいる家族の、相反する構成が非常におもしろい。また、緊迫感をつたえるため、「汗」の表現をうまく多用していると感じた。
夏の暑い時期を設定しているのか、「ハンカチ」で汗をぬぐうシーンがたくさんある。暑さが映画からにじみでてくる感じ。そういった「汗」「ハンカチ」という表現が「動揺」「涙」「死」「恐怖」を連想させ、「さすが!」と感じた。そういった「暑さ」の状況が確立できたところで、まさに裁判で対決中の家族に、ジュースを差し出す。こんな暑い中、のどでも乾いただろうと思って、自分を訴えている相手にジュースを差し出すのだ。そのシーンを観て、この老人はただのくるった老人ではないということがわかる。ただただ家族を救うためブラジルに行くことを切に思う老人だということがわかる。そういった一見意味のないシーンがちゃんと意味がある。黒澤明お見事!!
「死ぬのはやもえん。だが、殺されるのは嫌だ!」
まさしく水爆・原爆に恐怖を感じる誰もが思うこと。
本当は今の世界がおかしいのではないか?そう思えた作品だった。